自分の軸を取り戻した人の話

自分の軸を見失うと、人生抜け殻になることを実感したので、軸を少しずつ取り戻してきた今、思うことを書いています。

イライラしやすい人は本を読もう


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あなたはなぜイライラしてしまいやすいのか

人がイライラしたり怒ったりしてしまうときって、

 

自分の気持ちを的確に表現できないからなんだそうだ。

 

何か、嫌な気持ちが自分の中にある。

 

排除したい。

 

でもそれが何なのか分からないから、排除のしようがない。

 

だからイライラして、腹が立ってしまう。

 

これって、自分も周りも辛くないですか?

 

怒りをぶつければ、その瞬間はスッキリすることもあるかもしれない。

 

でも、後悔しませんか?

 

「何であんなキツいこと言っちゃったんだろう…」

 

「あんなひどいこと言いたくなかったのに…」

 

もっと悪いことになると、大切な人を傷つけて、離れてしまうことにもなりかねません。

 

では、どうしたらいいんでしょう。

 

言葉を知ることで自分の気持ちを言い表せるようになる

 

解決法は、あります。

 

それは、より多くの言葉を知ることです。

 

人の心って複雑なんですよ。

 

だから、小中学校で習うような言葉だけでは伝えることができない感情もあるんです。

 

考えてみてください。

 

赤ちゃんって泣きますよね。ことあるごとに泣きます。

 

お腹が空いた、トイレが出た、眠い、お母さんが側にいない、お父さんが音を立てた、などなど。

 

なぜ「泣く」という表現をするのか、分かりますか?

 

感情表現の手段が、それしかないからです。

 

なぜ、それしかないのか。

 

言葉を知らないからです。

 

言葉を知っていれば、「ご飯をくれ」「おむつを換えてくれ」などと言葉で伝えることができます。

 

でも言葉を知らないので、「不快だ!」ということを伝えるために泣く、ということしかできないのです。

 

で、大人になれば当然、そういうことは言葉で言えば良いのですが、

 

先ほども書いたように、人の心は「お腹空いた」「寂しい」といった簡単なものばかりではありません。

 

例えば、「悲しい」という感情もいろいろありますよね。

 

「胸が張り裂けそうで泣き叫びたい」「心の中で雨がしとしと降っているような」「誰かに抱き締めてほしい」「ほっといて一人にしてほしい」「暗闇の中を歩いているような」

 

(私の語彙力の有無はさておき)このようにいろいろな表現方法があるのですが、こういう言い方を知らないと、

 

「悲しいんです」「じゃあ泣いていいよ」「泣きたいわけじゃない」「じゃあ大丈夫そうなの?」「そんなことはない」「話聞くよ」「言いたくない」「じゃあ帰るね」「嫌だ」「(´・ω・`)

 

みたいに、相手を混乱させてしまいますし、自分としても「なんで分かってくれないの!」とイライラしてしまい、悲しみもまた深くなります。

 

的確な言葉を知っていれば、

 

「世界に自分一人しかいないような気がして、どうにも寂しくて孤独で、でもそれをぶつけたいわけじゃないの」「じゃあとりあえず隣にいるね」

 

といった感じに、相手が自分の一番してほしいことにたどり着くことができるので、悲しみが少しは癒されることでしょう。

 

では、より多くの言葉を知るためにはどうしたらいいんでしょう。

 

本を読むことです。

 

良い本は良い言葉を教えてくれる

 

自分の感情をより的確な言葉で表現するには、より多くの表現方法を知っておく必要があります。

 

良い本の文章には、実にさまざまな表現方法があります。各作家さんの独特な表現もありますし、普遍的に好まれる美しい表現を使うものもあります。

 

できるだけ、多くの種類を読んだほうが効果的です。

 

そうすれば、いずれ自分が最も共感できる文章に出会えます。

 

例えば、これは高校の教科書に出てくる題材なので、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、

 

中島敦の「山月記」に出てくる言葉、

 

「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」

 

これは、結構刺さったんです、個人的に。自尊心って、心を強くするもののはずなのに、臆病って言い方は矛盾してます。でも、あるんですよねそういう感情が。おそらく、一般的によく言う「自尊心」とは種類が違うのでしょう。

 

または、三島由紀夫の「春の雪」で、ヒロインの着物姿を見た主人公の評価として、

 

「京風の三枚重ねをゆるゆると着こなして」

 

という表現があります。個人的に、三島由紀夫の文章は狂気じみたレベルの日本語の美しさで酔いそうなくらいなのですが、この表現は、華族の娘であるヒロインの美しさを表すのに、単純に「上質な着物がよく似合って」とか「華族の令嬢らしい美しさ」とか書くより、彼女の美しさを表現できているように思います。

 

※個人的な感想です。

 

このように、本を読むと1つの感情、1つの物事に対してさまざまな言い表し方があることが分かり、その中からより自分の心情に合ったものを選ぶことで、自分の気持ちを表現するときの参考になります。

 

ただし、とりあえず文章を読めばいいというものではありません。かえってあなたの感情表現を悪化させてしまうものもあります

 

悪い文章にご注意

 

これは別に政治的とか社会批判的な話ではないのですが、私は新聞が嫌いです。購読していません。

 

高校生くらいまでのころは、某新聞の社説の一つである、某有名なコーナーの文章が、実に高尚で美しく知的なものだと思っていました。実際、そのコーナーだけ切り取ってコレクションしたり、書き写すことを習慣にしている人もいるそうなので、コーナー名は控えます。

 

ところが、大学で文学作品や論文を読むことが多くなってからそのコーナーを読んでみたところ、

 

非常にレベルの低い文章だと思うようになってしまいました。

 

詩的な情緒もなければ知性もない、ただただ、タイムリーな話題を引き合いに出して政治家や権力者を叩きたいだけの稚拙な文章だと、私は感じました。

 

その文章の好き嫌いは人それぞれなのですが、私が思ったことは、

 

「こういう文が好きな人は、テレビで政治家やお金持ちが出てくるたびに腹を立てて、彼らを叩くワイドショーのコメンテーターと一緒になって汚く罵っているんだろうなぁ」

 

ということです。もちろん、想像です。しかし、ワイドショーのような番組は、何でもいいから日頃の鬱憤を晴らしたいという視聴者の負の感情を利用しているものだと思っています。

 

人を悪く言う文章、それも大した語彙力もセンスもない文章ばかりに触れていると、自分の言葉もどんどん悪い方に片寄ってしまうな、と恐ろしくなりました。

 

どうも、テレビや新聞、週刊誌というものは、言葉が攻撃的で品がなく、美しくないものが多いです。こういうものに慣れてしまうと、いつしか自分の言葉も汚くなり、人を攻撃するような言い方を自然にしてしまうようになりかねません。

 

何かを批判することそれ自体は、悪いことではありません。ただ、言い方の問題です。

 

少し話が逸れてしまいましたが、良い文章に触れることは、よろしくない言葉や感情から距離を置き、自分の心を美しい言葉で満たすための重要なプロセスだと思うんです。

 

良い言葉が良い人生を作る

 

文章に触れるとき、美しいかどうか、心地好いかどうかを考えて、取り入れてみることをおすすめします。

 

本来、あなたの中のどんな感情も、突き詰めていけば決して汚いものではないはずです。

 

心が荒れているときは、汚い言葉や攻撃的な言葉に感化されやすくなりがちですが、そういう言葉は他人だけでなく、あなたの心をも傷つけてしまいます。

 

より美しく、より心地好い言葉で感情表現ができるようになれば、周りの人も、あなた自身も、より豊かで満たされた人生を送れるようになっていきます。

 

良い本をたくさん読んで、良い言葉を身につけましょう。